ポジティブ思考になれる偉人の名言集【71~80】

ポジティブ思考になれる偉人の名言集【71~80】

 

【71】太宰治(小説家)は、こんなことを言い残しています。

『笑われて、笑われて、強くなる。』

 

私は、太宰治です。

「笑われて、笑われて、強くなる。」というこの一句は、私が生涯を通して味わってきた、いささか皮肉で、しかし人間らしい真理を述べたものです。

私は決して強い人間ではありませんでした。むしろ、弱さ、みじめさ、孤独、世間からの冷たい視線、そうしたものに常に震えていた男です。

しかし、人は弱さを恥じ続けるだけでは、生きてはいけない。だからこそ、笑われることに向き合う必要があったのです。

 

人は笑われることを恐れます。

それは、心の奥に潜む「自尊心」という厄介な小さな獣が、嘲笑に耐えられず暴れるからでしょう。けれど、私は思うのです。むしろ、笑われるという経験こそ、人間を鍛える最も正直な力だと。

傷つき、恥をかき、それでもなお歩こうとする心に、初めて“強さ”というものが宿るのです。

 

私自身、作家として世に出る前も、出てからも、幾度となく笑われました。

生き方を、作品を、思想を、時には私の存在そのものを。それでも、私は筆を置くことができませんでした。

なぜなら、笑われることで、私は自分の弱さを知り、そして弱いままに生きる術を学び、人の痛みに触れる感性を深めることができたからです。笑いは、私を砕きながら、同時に作り上げてもくれたのです。

世間に笑われるということは、逃げも隠れもできないほど、自分をさらけ出してしまった証拠です。人は、自分を偽っている限り、心の底から笑われることはありません。

だから私は、笑われることは一種の誠実さだとさえ思います。裸のままの自分を曝し、世間の風にさらされ、それでも前へ進もうとする者だけが、「強くなる」資格を持つのです。

 

どうか、あなたも恐れないでください。笑われてもいい。失敗してもいい。

人の嘲笑は、あなたが挑戦した証です。挑戦なき人生ほど、退屈で弱いものはありません。笑われれば笑われるほど、あなたの中の“生きようとする力”は研がれ、磨かれ、やがて他人の嘲笑など取るに足らぬ風の音となるでしょう。

笑われて、笑われて、それでも歩く。それが、私なりの“人間らしい強さ”の形なのです。

 


 

【72】矢沢永吉(ミュージシャン)は、こんなことを言い残しています。

『1のリスクしかないことはしない。10のリスクがあることをする。達成すれば10の成果が手に入る。』

 

私は、矢沢永吉です。

あの言葉はな、ただの“強がり”でも“カッコつけ”でもない。俺が人生で本当に体感してきた、血の通った真実なんだ。

人はな、安全な道を選びたがる。失敗したくない、笑われたくない、傷つきたくない。そう思うのは当たり前だよ。でもな、安全な場所でじっとしていて、人生が大きく変わった奴を、俺は見たことがない。

リスクを1だけ背負って、それ相応の1の成果をもらって、「まあまあだな」と言いながら一生終わっていく。それが悪いとは言わない。けど俺は、それじゃ面白くなかった。

 

俺はいつだって、10のリスクがあるほうへ、わざわざ自分で飛び込んできた。

バカだと思われても関係ない。自分の人生の主役は自分だろ? 誰かの安全基準なんて、知ったこっちゃない。でかい夢をつかみに行くなら、でかい危険をかけるしかないんだよ。

だいたいな、1のリスクっていうのは、失敗しても痛くない。痛くないってことは、挑戦じゃないんだよ。心が震えない。魂が動かない。そんな小さな賭けで、大きな未来が手に入るわけがない。
でも、10のリスク・・・これは違う。

失敗したら、本気で悔しい。寝られないくらいに落ち込む。人に笑われるし、金も時間も吹き飛ぶかもしれない。怖いよ。俺だって怖かった。

だけどな、その恐怖を乗り越えて成功したとき、見える景色がまったく違うんだ。

達成すれば、10の成果が手に入る。
10の景色が見える。
10の未来が開ける。

 

大きなリスクを取るってことは、「自分の人生を変える覚悟を持つ」ってことだ。

リスクってのは、怖さのことじゃない。何を差し出す覚悟があるか、だ。プライドか、金か、時間か、自分の殻か。何かを捧げずに、本気の成功なんて手に入らない。

俺はずっと言ってる。「やるなら、とことんやれ」。中途半端が一番、つまらないし、人生を苦しくする。思い切って飛び込めば、失敗したっていい。大きくこけた経験は、大きく立ち上がる力に変わる。

だからな、もし迷ってることがあるなら、覚えておいてほしい。

1のリスクなんて、誰でも取れる。10のリスクを取れるヤツが、10の未来をつかむんだ。

さあ、自分の人生、どう動かす? 選ぶのは、あんた自身だ。

 


 

【73】羽生善治(プロ棋士)は、こんなことを言い残しています。

『常に前進しないと、そこでストップし、後退が始まってしまう。』

 

私は、羽生善治です。

この言葉は、将棋という世界に身を置き続ける中で、自然と私の中に形づくられた実感です。

将棋は、一局ごとに全く違う局面が生まれ、同じ答えが二度と現れない世界です。だからこそ、立ち止まった瞬間に、世界のほうがどんどん先へ進んでしまう。結果として、それは“後退”と同じ意味になってしまうのです。

人は、一度うまくいくと安心します。「ここでいい」と思ってしまう。

 

しかし、将棋の世界では、昨日の最善手が今日も最善とは限りません。

むしろ、常識だと思っていた手が突然通用しなくなることさえあります。新しい戦型、新しい研究、新しい発想・・・それらは常に生まれ、流れ続けています。

その流れを追いかけるのではなく、自分自身が変わり続け、前へ踏み出さない限り、気づけば置いていかれる。私は何度もそういう場面を目にしてきました。

 

「前進」というのは、決して大きな飛躍のことだけを言っているわけではありません。

小さな改善、少しの工夫、昨日とは違う視点を持つこと。それらも立派な前進です。むしろ、大きな変化は、小さな積み重ねの延長線上にしかありません。

1%の前進を毎日続ける人は、いつしか大きな壁を越えていきます。しかし、1日でも「まあ、このままでいいか」と思ってしまうと、その1日は静止ではなく、後退の始まりになってしまう。

努力とは矛盾したように見えて、止まっているつもりでも、人は確実に後ろへ動いてしまう生き物なのです。

 

私自身、タイトルを持っているときも、失冠したときも、「現状維持」という言葉ほど危ういものはないと感じてきました。

現状を保つには、現状以上の学びと挑戦が必要です。だからこそ私は、勝っても負けても、その局面から何かを見つけ、考え、次の一歩を探し続けます。その一歩をやめた瞬間、私の棋士としての時間は止まり、後退が始まってしまうでしょう。

 

人生でも同じだと思います。完璧でなくていい、速さも必要ありません。

けれど、ほんの少しでも、自分が昨日より前へ進んでいるという感覚を持つこと。それが、自分の世界を深め、広げ、未来を切り開く力になります。

前進とは、大それた行動ではなく、“考え続けること”“学び続けること”。

その積み重ねが、あなたを後退から守り、確かな成長へ導いてくれるのです。

 


 

【74】キルケゴール(デンマークの哲学者)は、こんなことを言い残しています。

『人生は振り返らなければ理解できないが、前を向かなければ進んでいかない。』

 

私は、キルケゴールです。

私が言ったこの言葉は、私が生涯を通して考え続けてきた「人間とは何か」「生きるとはいかなる事か」という問いに対する、もっとも素朴でありながら深い答えの一つです。

私たちは生きているその瞬間には、何が正しく、何が誤りで、何が意味を持つのかを判断することができません。

人生の出来事は、まるで点のようにバラバラに散らばり、理解できない混沌として迫ってきます。

 

けれど、時間が流れ、私たちがその出来事を振り返ったとき、不思議なことに点がつながり、一本の線を描きはじめる。苦しみや失敗や迷いが、後になって初めて意味を帯び、そこに「理解」という灯りがともるのです。

つまり、人は過去を振り返ることで初めて、自らの歩みを理解できる。

しかし、理解だけでは生きられません。

人生は、理解してから進むものではなく、理解できないまま進むものです。人は未来の意味を知ることはできません。それでも明日に向かって歩き、選択し、決断しなければならない。

これはしばしば恐ろしいことですが、同時に人間らしさそのものでもあります。未来が見えないからこそ、私たちの「選択」には重みがあり、「自由」に意味が生まれるのです。

 

そして、ここに私の哲学の核心があります。

人は理解によってではなく、選択によって存在を形づくる。理解は過去に宿り、選択は未来へと向かう。その両方を抱えて生きることこそ、人間の悲喜劇であり、また尊厳でもあるのです。

ですから、私の言葉はこう告げています。過去を振り返り、そこに意味を見いだすことを恐れてはならない。しかし同時に、過去の意味に囚われて歩みを止めてしまっては、人生そのものが停滞してしまう。

理解はあなたの背後から静かに照らす光であり、前進とはあなたが自ら選び取る不確かな一歩です。この二つを往復しながら、人はようやく「自分の人生」というものを形づくっていきます。

振り返ることで理解し、前を向くことで進む。

この緊張のあいだにこそ、人間の存在は息づいているのです。

 


 

【75】トーマス・エジソン(アメリカの発明家)は、こんなことを言い残しています。

『最上の思考は孤独のうちになされ、最低の思考は混乱のうちになされる。』

 

私は、トーマス・エジソンです。

私が残したこの言葉は、私が長い年月、研究所の片隅で静かに実験を繰り返しながら辿りついた、創造の本質を語ったものです。

私はこれまで幾千もの失敗を経験し、無数の試行錯誤を重ねてきました。しかし、その過程で確信したのは、人間が本当に価値ある発想にたどり着く瞬間というのは、驚くほど静かで、驚くほど孤独な時間の中にあるということです。

 

周囲の声も、世間の雑音も、他人の意見も、そこには入り込む余地がありません。

自分の頭の中にだけ灯っている小さな光と向き合い、問いを繰り返し、答えの輪郭を掴んでいく・・・そのときに生まれる思考こそ「最上の思考」なのです。

孤独は、しばしば避けられるべきもの、寂しさの象徴だと考えられがちです。しかし、私にとって孤独は、ひらめきが芽生えるための静かな土壌でした。誰にも邪魔されず、自分だけのリズムで考え続ける。

すると、最初はぼんやりとしていたアイデアが、やがて形を持ち、実験台の上で姿を現します。

孤独は、思考を純粋な形で磨き上げるための“精錬所”なのです。

 

反対に、「最低の思考」はどこで生まれるのか。

それは混乱の中、つまり、周囲の雑音が大きすぎる場所、焦りや感情が渦巻く状態のことです。人間は混乱していると、目先の問題に振り回され、冷静な判断を失います。判断力が鈍れば、本質から離れた結論に飛びつく。

混乱の中にいると、まるで霧の中で進むようなもので、正しい方向が見えず、思考は浅く乱れたものになってしまうのです。

私は研究所で働く仲間たちにもよく言っていました。「急ぐな。混乱に身を置くな。静かに考えれば、必ず道は見える」と。発明とは、激情や衝動から生まれるものではなく、静かな集中の中で丁寧に育てられるものなのです。

 

もちろん、孤独は簡単なものではありません。誰しも心細さを感じます。

しかし、孤独こそが、人が自分自身の知性と真剣に向き合う時間を与えてくれる。喧騒と混乱から距離を置いたとき、初めて「本当に考える」という行為が始まるのです。

あなたがもし、何かを生み出したい、問題を解決したいと願うなら、少しの孤独を恐れないでほしい。静けさの中にこそ、あなたの最上の思考が潜んでいます。

混乱から離れ、落ち着いて思索の深みに降りていけば、必ず新しい光が見えてくるでしょう。

 


 

【76】松下幸之助(パナソニック創業者)は、こんなことを言い残しています。

『塩の辛さ、砂糖の甘さは学問で理解できない。だが、なめてみればすぐ分かる。』

 

私は、松下幸之助です。

この言葉は、私が長年の経営と人生経験を通じて痛感してきた「実践の大切さ」を表したものです。

いくら頭の中で知識を詰め込んでも、いくら本や講義で“分かったつもり”になっても、それだけでは本当の理解には到達できません。

塩が辛い、砂糖が甘い。そんな当たり前のことさえ、机上で学んでも体感はできない。ひと舐めすれば誰でもただちに理解できる。

それと同じように、人生や仕事においても、「やってみる」という経験こそが、何よりも説得力を持つのです。

 

私は、経営は教科書の中にあるのではなく、“現場”にあると常に申してきました。

机の上で数字とにらめっこしているだけでは、人の心も、商品の息遣いも、世の中の空気も見えてこない。

お客さんが何を求め、従業員が何に困り、どんな商品が本当に喜ばれるのか・・・それらは現場に足を運び、自分の目で見て、自分の耳で聞き、そして自分の肌で感じて初めて理解できるものなのです。

学問や理論はもちろん大切です。しかし、それはあくまで“地図”のようなもの。実際に歩いてみなければ、道の凸凹や風の匂い、景色の変化は分からない。

地図だけ見て「この道は安全だ」と思っても、歩いてみれば予想外の障害があるかもしれないし、逆に思いがけない発見があるかもしれない。人生とはそういうものです。

 

私自身、成功したように見える部分よりも、むしろ、失敗し、恥をかき、試してみて初めて分かったことのほうが、はるかに大きな財産となりました。

「知る」と「分かる」は違います。

「分かる」と「できる」も違います。

そして「できる」と「続けられる」も違うのです。

その第一歩は、学ぶことよりも「やってみること」。たとえ失敗しても、それは必ず次の成功の糧になります。頭で理解しただけの知識は風のように消えてしまうが、実際に体験して身につけた知恵は、一生あなたを助けてくれる。

もしあなたが今、何か悩んでいることや、前に進めない理由を抱えているなら、どうか一度“舐めてみる”つもりで行動してみてください。たった一歩でも踏み出せば、そこには必ず新しい理解が待っています。

塩も砂糖も、なめてみればすぐ分かる。

人生もまた、やってみればすぐ分かるものなのです。

 


 

【77】ジョン・レノン(ミュージシャン)は、こんなことを言い残しています。

『あれをしたら…こう言われるだろう…こんなくだらない感情のために、やりたいこともできずに大勢の人が死んでいくのだ。』

 

私は、ジョン・レノンです。

この言葉は、私が長い間、人間が抱える“恐れ”というものと向き合ってきた中で出てきた、本当に嘘のない実感なんだ。

人間はね、「どう思われるか」という気持ちにものすごく縛られている。「批判されたらどうしよう」「笑われたらどうしよう」「嫌われたらどうしよう」・・・そんな不安のせいで、心の中に芽生えた“やりたいこと”や“本当の声”を、自分で押しつぶしてしまう。

だけどその恐れは、よく考えてみればとてもくだらない。言ってしまえば、“幻”なんだよ。

誰かの目を気にして自分を殺す、それが当たり前になってしまうと、人は生きていても本当の意味では生きていない。

 

私は、平和や自由を歌うことで、多くの批判や誤解を受けてきた。

時には侮辱され、敵視されることさえあった。でも、そんな声に怯えて黙ってしまえば、世界は何ひとつ変わらない。多数派の空気や、誰かの機嫌に合わせて生きたって、そこに“自分”なんて存在しない。

だから私は、恐れや評価よりも、自分が信じるものを選んだんだ。そして気づいた。

人が本当にやりたいことをやれずに生きるというのは、形の違う「死」なんだと。

もっと言えば、“恐れ”に従って生きるというのは、自分で自分の命の灯を小さくしていくようなものなんだよ。

 

これは、ただ個人の話だけじゃない。戦争だって、争いだって、国同士の対立だって、突きつめれば同じ構造を持っている。

「あれをしたら相手にどう思われるか」「弱く見られたくない」「言い返さないと負けたように思われる」。そんなくだらない感情の鎖が積み重なって、人類はずっと自滅を繰り返してきた。

結局、恐れに支配された行動は、人も国も破滅へ導く。

逆に、愛や自由、創造から出てくる行動は、必ず新しい可能性を拓いていく。

 

だから私はこう言いたい。もしあなたが何かをやりたいのに、誰かの目や言葉が怖くて動けないなら・・・どうか立ち止まって、自分の心の声をもう一度聞いてほしい。

あなたの人生は、誰のものでもない。他人の評価のために生まれてきたわけでもない。

恐れのために生きるのか。それとも、愛と自由のために生きるのか。

その選択が、あなたの人生の方向を決めるんだ。

私は、そう信じて生きてきたんだよ。

 


 

【78】ラルフ・ワルド・エマーソン(アメリカの思想家)は、こんなことを言い残しています。

『行動に際して、あまりに臆病になったり神経質になることがないように。すべての人生は実験すればするほど上手くいく。』

 

私は、ラルフ・ワルド・エマーソンです。

この言葉は、私が生涯を通して観察してきた“人間の可能性”についての、率直で揺るぎない信念を表したものです。

私は、人が成長していく過程で最も邪魔をするものは、外の困難ではなく、内側にひそむ「臆病さ」だと考えています。

人は未来を恐れ、失敗を恐れ、他者の視線を恐れます。しかし、その臆病さは、あなたの力を奪うどころか、あなたの世界をどんどん小さくしてしまう。神経質になりすぎて一歩も動けないというのは、人生における最大の損失です。

なぜなら、行動しない者は、決して“自分という存在の真価”を知ることができないからです。

 

私がここで言う「実験」とは、成功か失敗かを問わない“試み”のことです。

人生は、実験のように何度でもやり直せます。試して、間違えて、また別の方法を試す。そうしているうちに、驚くほど物事は上手く回り出すものです。

多くの人は「失敗するくらいなら、最初からやらないほうが良い」と考えます。しかし、これはまったく逆なのです。

行動しないことで得られる“安全”など、幻想にすぎない。挑戦せずに得られるものは何もなく、挑戦して得られるものは必ず何かある。たとえ失敗だったとしても、その失敗はあなたの視野を広げ、強さを増し、未来の成功の土台を築いてくれます。

 

私たちの内側には、自然が授けた力、勇気、創造性、直観が宿っています。

しかし、それらは行動によってのみ活性化されます。行動しない者は、自分の持つ巨大な力を一生知らぬまま終えるでしょう。

一方、臆病さを押しのけて行動した者は、たとえ結果が完璧でなくとも、確実に自分自身の深い部分へ到達し、自信を育てていくのです。

人生とは、まさに“生きた実験室”です。試し、挑み、観察し、学び、また挑む。

そうした営みを続ける人間だけが、自分自身を超え、世界と調和し、成長し続けることができます。

 

だから私は言うのです。どうか臆病になりすぎないでください。

神経質になって、まだ起きていない未来を恐れすぎないでください。

行動という実験を続ける者にこそ、人生は必ず微笑む。

その実験を重ねるほど、あなたの人生は驚くほど豊かに、力強く、そして自由に開けていくのです。

 


 

【79】ロベルト・バッジョ(サッカー選手)は、こんなことを言い残しています。

『PKを外すことができるのは、PKを蹴る勇気を持った者だけだ。』

 

私は、ロベルト・バッジョです。

この言葉は、私がキャリアの中で何度も噛みしめてきた真実です。サッカーというスポーツの中で、PKは最も単純で、最も残酷で、最も勇気が試される場面です。

ボールを置き、静寂の中で自分と向き合い、一歩踏み出す。その瞬間、選手は孤独になります。仲間も、監督も、サポーターでさえも励ましてはくれますが、蹴るのは自分自身。責任も重圧も、すべて自分の足元に集中します。

 

私は、その重圧の中で成功も失敗も経験しました。

特に1994年のワールドカップ決勝での失敗は、多くの人にとって「悲劇」という言葉で語られるでしょう。しかし、あの瞬間を避けることもできたのです。

蹴らないという選択肢を選べば、私は失敗しなかったかもしれない。批判も浴びなかったかもしれない。でも、私は蹴ることを選びました。

なぜなら、チームのために勇気を持って挑むことこそが、選手としての誇りだと信じていたからです。失敗を恐れて挑戦しない人には、成功の喜びを味わう資格もありません。

 

PKを外すということは、挑戦した証でもあるのです。

外す可能性があるからこそ、人は臆病になる。しかし、その恐怖に足をすくませず、前に立つ者だけが、自分の人生と真剣に向き合っているのです。

挑戦しなければ、傷つくこともない代わりに、何も得ることはできません。人は失敗からこそ成長し、そこから新しい強さが生まれるのです。

 

私がこの言葉に込めたのは、「勇気を持って前に進め」というメッセージです。

成功するかどうかよりも、自分の信念を貫き、立ち向かう姿勢そのものが、人を強く、美しくします。

恐れず、逃げず、自分の人生のPKスポットに立ち続けてほしい。外すことを恐れない者だけが、本当に自分の人生を前に動かすことができるのです。

 


 

【80】ルネ・デカルト(フランスの哲学者)は、こんなことを言い残しています。

『不決断こそ最大の害悪。』

 

私は、ルネ・デカルトです。

私が「不決断こそ最大の害悪」と述べたとき、そこには私の哲学の核心があります。それは、人間の理性が本来持つ力を信じ、その力を停滞させてしまう最大の敵こそ “決めないこと” だという確信です。

人生において、私たちは常に選択を迫られます。進むべき道を選ぶとき、何が正しいか確信が持てないことも多いでしょう。しかし、たとえ完全な確実性を得られなくとも、理性によってもっとも妥当だと考えられる判断を下し、行動に移すことこそが、人間を前に進める唯一の方法なのです。

 

不決断とは、判断を先延ばしにし、何も選ばず、何も行動しない状態です。

これは一見、安全に見えるかもしれません。誤りを犯さずに済むように思えるからです。しかし、実際にはまったく逆です。不決断は、人生における機会を奪い、思考を曇らせ、精神を弱らせていきます。人は判断を保留したままでは前に進めません。停滞は後退と同義なのです。

私は「方法序説」において、明晰かつ判然と認識できることを基準に、思考の道筋を立てる方法を示しました。

そして、仮に完全な確実性を得られなくとも、もっとも信頼できる選択肢に基づいて進むべきだと説きました。

これは決断そのものがもたらす力を示しています。行動し、経験し、試行錯誤することで、初めて理性は豊かになり、判断力は鍛えられていくのです。

 

不決断は、外の世界だけでなく、内なる自己にも害をもたらします。

決めないことが習慣になると、人は自分自身の意志を信じる力を失っていき、やがて他者の力に流されるようになります。これは人間として最も避けるべき状態です。

なぜなら、私が生涯をかけて追求した「自由に思考する精神」は、決断する力によって支えられているからです。

 

誤ることは恐れるべきではありません。誤りを通じて理性はより正確な道を学びます。

しかし、不決断という停滞の中では、何も学ばれず、何も生み出されません。それこそが最大の害悪なのです。

どうか、あなたの理性を信じ、選び、行動してください。

たとえその一歩が小さくとも、決断し続けることで人生は確実に前へと動き出すのです。

 

サイトマップ
不安症・うつ病の治し方
3年間も精神病院に通院し、薬を飲み続けても治らなかった不安障害・うつ病が、たったの5分で大好転し、3カ月で復活した方法を解説します。

 


(当サイトの情報は医療行為に代わるものではありません。詳細は免責事項と注意事項をご確認ください。)