【1】アルベルト・アインシュタイン(物理学者)は、こんなことを言い残しています。
『挫折を経験したことがない者は、何も新しいことに挑戦したことがないということだ』
こんにちは、アルベルト・アインシュタインです。
私がかつて「挫折を経験したことがない者は、何も新しいことに挑戦したことがないということだ」と述べたとき、多くの人は「失敗を肯定しているのだ」と受け取ったかもしれません。
しかし、私が本当に伝えたかったのは、もっと人間的で、もっと深い意味を含んだ励ましの言葉なのです。
私たちは皆、何か新しいことを始めるとき、不安を抱きます。理解されるだろうか?うまくいくだろうか?間違って笑われるのではないか?・・・こうした思いは、私にも常につきまといました。
実際、私の研究の多くは、最初は理解されず、時には無視され、批判されることさえありました。
相対性理論がすぐに受け入れられたわけではありませんし、数学的な行き詰まりや誤りも何度も経験しました。そのたびに、「本当に自分は正しい方向に進んでいるのだろうか」と迷い、苦しみ、挫折を味わったのです。
しかし、私はそこで気づきました。挫折は自分を否定する印ではなく、未知の領域に足を踏み入れている何よりの証拠なのだと。
もしあなたが安全な道だけを歩くなら、傷つくことはないでしょう。
批判されることも、間違えることもありません。しかし、それでは世界は一歩も前に進みません。人類の進歩は、数え切れない失敗と、そこから立ち上がろうとする意志によって生まれてきました。
挫折とは、単なる失敗ではありません。それは、あなたの内側に眠る「もっとよくなりたい」「もっと深く理解したい」という願いが表に現れた瞬間です。挑戦しなければ、そもそも挫折は訪れません。つまり挫折とは、あなたが人生を前向きに、創造的に生きようとした証でもあるのです。
私はあなたに伝えたい。
どうか失敗を恥じないでください。
挫折を恐れないでください。
そこにこそ、あなたの成長と発見の扉があります。
新しい挑戦に踏み出す勇気を持てたとき、あなたはすでに半分成功しています。残りは、何度転んでも起き上がるだけです。それが、私が人生と研究の中で学んだ、もっとも大切な真実なのです。
【2】ウォルト・ディズニー(起業家)は、こんなことを言い残しています。
『与えることは最高の喜びなのだ。他人に喜びを運ぶ人は、それによって自分自身の喜びと満足を得る。』
こんにちは、ウォルト・ディズニーです。
今日は、私が残した言葉「与えることは最高の喜びなのだ。他人に喜びを運ぶ人は、それによって自分自身の喜びと満足を得る。」この意味を、私自身の想いとしてお話ししましょう。
私は生涯を通じて、ただ“作品を作る”ことを目的にしていたわけではありませんでした。私が心の底から求めていたのは、人々の顔に笑顔を咲かせる瞬間です。
映画館の薄暗い客席で、子どもたちが目を輝かせる。家族が肩を寄せ合いながら、同じ物語に心を重ねる。その光景こそが、私にとって何よりのご褒美だったのです。
多くの人は「与える」という言葉を聞くと、自分が損をすることだと感じます。
しかし、実際には逆なのです。人に喜びを届けようとするとき、私たちは自分の中にある創造力や優しさ、想像力を最大限に引き出します。誰かの幸せを願う心が、自分の内側にある温かい部分を目覚めさせてくれるのです。
ミッキーマウスを生み出したときも、ディズニーランドを作ろうと思い立ったときも、そこにあったのは「みんなが笑顔になれる場所を作りたい」という純粋な願いでした。成功するかどうか分からない、大きなリスクもある。
それでも前に進めたのは、“誰かに夢を届けたい”という思いが、私自身を励ましてくれたからです。
人に喜びを与えようとすると、奇妙なほど心が満たされます。
相手の笑顔は、こちらの心にも光を灯します。まるで、一本のキャンドルから次のキャンドルへ火を分けても、元の火は小さくならないように。むしろ、周りが明るくなるにつれて、自分自身も温かい光に包まれていくのです。
私はずっと、自分の人生を通じて学んできました。
“幸せとは自分のためだけに追いかけても、決して満たされない”と。
しかし、誰かの幸せを願い、そのために行動したとき、心は自然と豊かになり、人生は色彩を増していきます。
だからこそ、私はこう言い続けたいのです。与えることは、失うことではありません。与えることは、あなた自身の喜びを見つける最良の方法なのです。
どうか、あなたの周りにも小さな喜びをひとつ届けてみてください。それは必ず、あなた自身の心にも優しい光となって返ってきます。
【3】松下幸之助(パナソニック創業者)は、こんなことを言い残しています。
『失敗すればやり直せばいい。やり直してダメなら、もう一度工夫し、もう一度やり直せばいい。』
こんにちは、松下幸之助です。
今日は、私がよく申し上げてきた「失敗すればやり直せばいい。やり直してダメなら、もう一度工夫し、もう一度やり直せばいい。」という言葉について、少しお話ししたいと思います。
人は誰しも、物事を成し遂げようとするときに、失敗に出会います。私自身、決して順風満帆に事が進んだわけではありません。
体が弱く、学校にも満足に通えず、丁稚奉公からの出発でした。商売を始めた頃も、資金は乏しく、人手もなく、失敗ばかり。けれども、そのたびに “もう一遍やってみよう” と、そう心に決めて歩んできたのです。
失敗というものは、決して恥ずべきことでも、恐れるべきものでもありません。
むしろ、成功への途上に必ず落ちている石ころのようなものです。つまずいたからといって道が消えるわけではないのです。つまずいた場所をよく見つめ、なぜつまずいたのかを考え、どうすれば次は乗り越えられるかを工夫する。そこに成長の種があるのです。
やり直すというのは、ただ同じことを繰り返すのではありません。前と同じ心で同じ行動をしても、結果は同じです。大切なのは、失敗に学び、工夫し、新しい心持ちで再び挑むこと。
工夫というのは、何も大それた発明をすることではありません。少し見方を変える、やり方を変える、順番を変える、人の力を借りる。こうした小さな工夫が、やがて大きな成果に結びつくのです。
また、失敗を恐れて足を止めてしまうと、人は成長の機会を失います。
私は「人生は運命ではあるが、同時に自分で切り開くものでもある」と考えてきました。失敗したからといって、その人の価値が下がるわけではありません。
むしろ、失敗をどう受け止め、どう立ち上がるかで、人間の真価が問われるのです。
もう一つ申し上げたいのは、やり直しには “素直さ” が欠かせないということです。
素直に現実を認め、素直に他人の意見を聞き、素直に自分の未熟さを受け入れる。そうした素直な心があるからこそ、人は柔軟に工夫し、再び前に進む力を持てるのです。
人生も、商売も、失敗の連続です。しかしながら、その失敗の一つひとつが、次の成功の礎になります。失敗したらやり直す。もう一度工夫して、またやり直す。その繰り返しの中に、道は自然と開けていきます。
どうか皆さんも、失敗を恐れず、前向きに挑戦し続けていただきたいと思います。
成功というものは、特別な才能を持った人だけに訪れるものではありません。
あきらめず、工夫し、何度でも立ち上がる人のところに訪れるものなのです。
【4】ヘレン・ケラー(作家、障害者権利活動家)は、こんなことを言い残しています。
『元気を出しなさい。今日の失敗ではなく、明日訪れるかもしれない成功について考えるのです。』
こんにちは、ヘレン・ケラーです。
私は、人生の中で多くの困難と向き合ってきました。視覚も聴覚も失っていた私にとって、世界は暗闇と静寂が広がる場所でした。しかし、その中にあっても、心の内側に灯す“希望”だけは、誰にも奪われませんでした。
だからこそ私は、「元気を出しなさい。今日の失敗ではなく、明日訪れるかもしれない成功について考えるのです」という言葉を大切にしてきたのです。
私たちは、生きていれば誰しも失敗をします。
努力をしても結果に結びつかないこともあるでしょう。時には心が折れそうになり、自分には何もできないのではないかと感じる瞬間も訪れます。私も教育を受け始めた頃、思うように手話を理解できず、言葉の壁に何度も打ちのめされました。
しかし、そこで私を支えてくれたのは「今日できなかったことでも、明日にはできるかもしれない」という希望の感覚でした。
人は、今日の失敗を心に抱いたまま思い悩むと、未来の光を見失ってしまいます。
失敗とは、あなたの価値を否定するものではありません。むしろ、成功へ向かう途中にある“通過点”なのです。あなたがどんな経験をしたとしても、明日には新しい可能性が訪れるかもしれない。
今日のあなたと、明日のあなたは同じではありません。人は絶えず成長し、気づき、学ぶ力を持っています。
だからこそ、心が沈みそうになったときには、「これから訪れるかもしれない成功」を思い描いてみてください。
たとえまだ形が見えなくても、未来には必ずあなたの努力を受け止める瞬間があります。その瞬間を信じて、一歩を踏み出し続けることが大切なのです。希望とは、困難の中でこそ最も強く輝く灯火です。
どうか、自分の歩みを怖がらないでください。
あなたの明日には、今はまだ想像できないほど豊かな可能性が広がっています。失敗に心を奪われず、未来の成功に心を向けてください。そうすることで、あなたの中に新しい力が生まれ、人生は必ず前へ動き始めます。
どうか、明日を信じる力を忘れないでいてください。
あなたの未来には、まだ多くの喜びと成長が待っているのです。
【5】中内功(ダイエー創始者)は、こんなことを言い残しています。
『「不景気だ、不景気だ」とあなた達は言うが、そんなものがどこにある?あなた達の頭の中にあるだけじゃないのか?』
こんにちは、中内功です。
私がかつて申し上げた「『不景気だ、不景気だ』とあなた達は言うが、そんなものがどこにある?あなた達の頭の中にあるだけじゃないのか?」という言葉は、決して景気の現実を否定したかったわけではありません。
私が本当に伝えたかったのは、「状況をどう捉えるかで、あなたの行動も未来も大きく変わる」ということです。
私自身、商売の世界に飛び込み、右も左もわからないまま走り続けた時代がありました。
物が足りない時代には物を満たそうとし、物が溢れる時代には安さで応じ、人々の暮らしが変われば店づくりも変えてきました。その過程で痛感したのは、「環境が人を決めるのではなく、人の発想が環境を切り拓く」という事実です。
不景気という言葉は、とても便利です。
売れない理由、挑戦しない理由、変わろうとしない理由・・・そのすべてを丸ごと引き受けてくれます。しかし、不景気という“言葉”に自分の未来を預けてしまえば、その瞬間から思考は止まり、行動も止まります。
そうなると本当に不景気になってしまう。私はその危うさを誰よりも見てきました。
もちろん、世の中には波があります。良い時期もあれば悪い時期もある。
けれど、どんな時代にも「伸びる会社」と「沈む会社」があります。双方の分かれ目は、景気の数字ではなく「発想と行動」にあるのです。
もし世の中が沈んで見えるなら、それは市場が縮んでいるのではなく「新しい価値を提供する余白が生まれている」ということです。人が困っているからこそ必要とされる商品やサービスがある。
財布の紐が固い時ほど“本当に良いもの”が求められる。そういうタイミングこそ、商人にとって最大のチャンスなのです。
だからこそ私は、あなたにこう伝えたいのです。
・不景気は、あなたの足を止める理由ではない。
・不景気とは、心の中に生まれる“思い込み”のことである。
・そして、その思い込みを破る力は、あなた自身が持っている。
世の中の空気に押されるのではなく、自分の感性で市場を見直してください。
人々の暮らしの中に、まだ満たされていない部分はないか。もっと便利にできるところはないか。小さな工夫が、大きな需要につながることがあります。
不景気かどうかを決めるのは、数字ではありません。あなたがどんな未来を信じ、どう行動するかで決まるのです。
私がこの言葉に込めた思いが、今のあなたの背中を少しでも押すことができれば嬉しく思います。
【6】本田宗一郎(ホンダ創業者)は、こんなことを言い残しています。
『チャレンジによる失敗を恐れるよりも、何もしないことを恐れろ。』
こんにちは、本田宗一郎です。
今日は、私が残した「チャレンジによる失敗を恐れるよりも、何もしないことを恐れろ。」という言葉について、私自身の語りとしてその意味をお話ししたいと思います。
私が一生をかけて学んだのは、「人間は行動して初めて前に進む」ということでした。挑戦には、必ず失敗の影がつきまといます。エンジンを作れば壊れる。新しいバイクを作れば売れないこともある。工場を建てれば資金繰りに苦しむこともある。
私の人生は、そんな失敗と未完成の連続でした。
しかしね、私はその一つひとつを恥ずかしいとは思いませんでした。
むしろ、失敗するということは「前に踏み出した証拠」なんです。失敗をしない人というのは、挑戦していないだけかもしれない。私はそれが一番恐ろしいと思うのです。なぜなら、挑戦しなければ人も企業も成長しない。技術も進歩しない。何より、自分自身が枯れてしまう。
人間は、本来みな好奇心の塊なんです。
「やってみたい」「もっと良くしたい」という思いが、心の奥底にある。子どもの頃の遊びを思い出してみればいい。竹とんぼを飛ばして、もっと高く飛ばそうと工夫する。失敗しても、それでももう一度やりたくなる。あの気持ちこそが、私が大切にしてきたエネルギーです。
私が恐れていたのは、失敗そのものではなく、「挑戦しないことで、そのエネルギーが消えてしまうこと」でした。
何もしないで安全に過ごしていると、人は知らぬ間に自分の限界をつくり始めます。「自分には無理だ」「どうせできない」と、自分の可能性にふたをしてしまう。これこそが、本当の失敗だと私は思っています。
挑戦すれば、たとえ失敗しても経験が残ります。工夫が生まれます。知恵がつきます。
そして何より、次に進むための視界が広がるんです。挑戦の中で得たものは、後になって必ず役に立つ。私はその積み重ねで、ホンダという会社をつくってきました。
ですから、あなたが今もし何かをやりたいと思っているのなら、ぜひ一歩を踏み出してほしい。
失敗したっていいじゃないですか。
傷つくことを恐れずに進んでみることです。人間というのはね、本気でやれば案外なんとかなるものです。そして、挑戦し続けている限り、あなたの人生は必ず前に進んでいきます。
何もしないことで後悔する人生より、挑戦して失敗しても胸を張れる人生を。
それが、私の言葉に込めた本当の願いなのです。
【7】レオナルド・ダ・ヴィンチ(イタリアの芸術家)は、こんなことを言い残しています。
『私は生き方を学んでいるつもりだったが、最初からずっと、死に方を学んでいたのだ。』
こんにちは、レオナルド・ダ・ヴィンチです。
この言葉について、私の心の深いところからお話ししましょう。
私は生涯、あらゆるものを観察し、学び、描き、発明し、探求し続けました。世界は私にとって尽きない学びの書物であり、自然界の理は、私にとって最も偉大な教師でした。
私は人間の身体の内部構造を知りたいと願い、骨や筋肉を解剖し、血管の流れを記録しました。また、鳥の羽ばたきを観察し、風の向き、雲の動き、水の渦の形までも細かく書き留めました。私は「生きるとは、知ることだ」と信じていたのです。
しかし、長い年月をかけて気づいたことがありました。
それは、私が学んでいたすべてのこと・・・生命の仕組み、自然の循環、人間の欲望や苦悩・・・これらは「死」という終着点を理解するための学びでもあった、ということです。
人は生きるために知識を求めます。しかし、その知識が深まれば深まるほど、生命が有限であるという真実が浮かび上がります。
私が描いた人物の顔には、いつも「生きた時間」と「刻まれた影」がありました。
どれほど美しい花も、やがて枯れ落ちる。どれほど頑丈な構造物も、時間の流れには逆らえない。自然界に存在するすべてのものが、「誕生し、成熟し、衰え、消えていく」という法を持っています。
だから私は次第に理解したのです。私が熱心に学んでいた「生きる術」とは、実は「終わりをどう迎えるか」を学ぶことと同じだったのだと。
死とは決して恐れるべきものではありません。
自然の摂理として定められたひとつの帰結にすぎないのです。むしろ恐れるべきは、自らの才能を眠らせたまま、なすべきことを果たさずに人生を終えてしまうことです。だからこそ私は、日々を実験し、観察し、創作し、疑問を持ち続けました。
「今日の自分は、昨日よりも理解が深まっただろうか?」
「自分の手は、心の中の真実を表せただろうか?」
その問いを何度も繰り返しながら、生き抜いてきました。
死に方を学ぶとは、すなわち、悔いなく生きる方法を学ぶことでもあります。自分の目に映るすべてのものを愛し、理解し、役立て、創り、伝え、そして最後には静かに手を置いて旅立つ・・・そのための学びです。
だから私はこう言ったのです。
「私は生き方を学んでいるつもりだったが、最初からずっと、死に方を学んでいたのだ。」と。
人生とは、始まりから終わりまで、ひとつの大きな発見の旅です。
その旅をどう歩むかこそが、あなた自身の「生き方」であり、やがて訪れる最後の瞬間をどう迎えるかという「死に方」でもあるのです。
【8】よしもとばなな(小説家)は、こんなことを言い残しています。
『嫌いな人がいたら、好きになるところまで離れればいいのよ。』
こんにちは、よしもとばななです。
この言葉は、私自身が長い人生の中で、たくさんの出会いと別れ、人間関係の悩みや葛藤を経験してきたなかで育まれた実感から生まれたものです。
「嫌いな人がいたら、好きになるところまで離れればいい」というのは、決して“無理にその人を好きになりなさい”という意味ではありません。むしろ、あなた自身の心を守りながら、生きやすい距離感を見つけていくための、ひとつのやさしい方法なのです。
人間関係は、どうしても相性や価値観の違いが表れます。
相手に悪気がなくても、自分の心がチクチクと傷ついたり、疲れてしまったりすることがあります。そんなとき、多くの人は「もっと我慢しなきゃ」「うまくやらなきゃ」と、自分の心に蓋をしてしまいがちです。
でも、誰かを嫌だと感じるのは本能的な反応であり、悪いことではありません。あなたの心があなたに“距離を取るべきだよ”と伝えてくれているサインなのです。
私が言いたかったのは、嫌いな人に対して無理に歩み寄る必要はないということ。
嫌いなままでもいいし、距離を置いてもいい。大切なのは、自分が穏やかでいられる場所、自分が息をしやすい心の位置を確保することです。距離が近いと、どうしても相手の言動がダイレクトに心に刺さる。
でも、少し離れてみると、不思議と相手の欠点ばかりが目につく状態から解放され、相手の良いところや、人としての背景まで見えてくることがあります。
「好きになるところまで離れる」というのは、距離を置いたことで、心がやわらぎ、相手を“ひとりの人間”としてフラットに見られるようになる、そんな状態を指しています。
嫌いな部分よりも、中立的な部分や、少しだけ好ましいところに目が向くようになる。そのくらいの心の余裕を取り戻すために、距離が役立つということなのです。
そして、その距離は「物理的な距離」だけではありません。
心の距離、期待の距離、役割の距離・・・どんな距離でもいいのです。たとえば相手に過剰に期待しないように心を切り替えるだけで、苦しさがなくなることもあります。
あるいは、関係を制限して必要最低限のやり取りにすると、驚くほど楽になることもあります。距離はあなたが決めていいし、あなたが心地よいと思える範囲で調整していいのです。
この言葉の根底にあるのは、「人間関係は戦うものではない」「自分を守ることはわがままではない」という小さな優しさです。あなたの心は、あなたが優しくしてあげなければ誰も守ってくれません。
だから、自分の心の平和を第一にしていい。嫌いな人と無理に近づく必要はないし、関わり続ける義務もありません。
距離を置くことは逃げではなく、自分の心を大切にするための選択。
そうして自分が穏やかになったとき、自然と世界の見え方が変わり、人に向ける眼差しにも余裕が戻ってきます。
それが、結果として「好きになるところまで離れる」という、ちょっと不思議で、だけどとてもやさしい関係の持ち方につながっていくのだと思うのです。
【9】イチロー(プロ野球選手)は、こんなことを言い残しています。
『苦悩というものは、前進したいって思いがあって、それを乗り越えられる可能性のある人にしか訪れない。だから苦悩とは飛躍なんです。』
こんにちは、イチローです。
今日は、僕がかつて口にした言葉について、少しだけ補足をしたいと思います。「苦悩というものは、前進したいって思いがあって、それを乗り越えられる可能性のある人にしか訪れない。だから苦悩とは飛躍なんです。」・・・この言葉は、ただ精神論を語ったわけではなく、僕自身の実体験から自然に出てきたものです。
まず、苦悩というのは、決して“何もしていない人”のところには訪れません。
前に進もうとしない人には、越えるべき壁も現れない。伸びようとするからこそ、痛みを伴う葛藤や迷いが出てくるんです。つまり、苦悩があるという時点で、その人はすでに「前に進もうとしている証拠」なんですね。
プロの世界では、結果が出ない時ほど苦しさは増していきます。
でも、それは同時に、自分にまだ伸びしろがあることを示してくれるサインでもあります。もし本当に可能性がなければ、人は苦しむ前に諦めてしまう。苦悩するというのは、「自分にはできるはずだ」という心の奥の声がまだ消えていないからです。
僕自身、メジャーリーグに挑戦したとき、技術的にも精神的にも壁にぶつかり続けました。だけど、その壁を越えられるとどこかで信じていたし、苦悩そのものが次のステップへ導く“入口”なんだと、身体で理解していきました。
だからこそ、苦悩は避けるものではなく、向き合うべきものなんです。
飛躍とは、突然訪れる奇跡のような出来事ではありません。
地道に積み重ねる日々の中で、苦悩を一つずつ越えていくことで、気づいたら以前の自分とは違う場所に立てている。それが飛躍です。
だから、苦悩している人は、自分を責めなくていい。むしろ胸を張ってほしい。「自分は今、成長の入り口に立っているんだ」と思ってほしいんです。
苦悩は敵ではありません。可能性を持った人のところにしか来ない、大切なパートナーなんです。
そういう意味で、僕は今でもこの言葉を大事にしていますし、悩んでいる人にこそ伝えたいと思っています。
【10】チャールズ・ダーウィン(イギリスの自然学者)は、こんなことを言い残しています。
『生き残る種というのは、最も強いものでもなければ、最も知能が高いものでもない。変わりゆく環境に最も適応できる種が生き残るのである。』
こんにちは、チャールズ・ダーウィンです。
私は長い年月をかけて、ガラパゴス諸島をはじめとするさまざまな場所で生物を観察し、種がどのように変化し、生き残り、姿を変えていくのかを研究してきました。その中で強く確信したのは、「自然界では、力の強さや知能の高さだけが生き残りを決めるわけではない」ということです。
私がかつて述べた「生き残る種というのは、最も強いものでもなければ、最も知能が高いものでもない。変わりゆく環境に最も適応できる種が生き残るのである」という言葉は、まさにこの観察から導かれた核心です。
生物が生きる環境は常に変化しています。気候が変わり、餌が変わり、捕食者が現れ、住む場所が変わる。
それらに対して、ただ強いだけの種は、変化が起きたときに対応できず、滅びてしまうことがあります。知能が高くても、環境への適応が遅ければ生き残れません。
一方で、体が小さく、力も弱くても、環境に合わせて行動や生態を柔軟に変えられる種は、変化に押し流されることなく生き延びるのです。
私が最も心を動かされたのは、フィンチと呼ばれる小鳥たちの観察でした。
彼らは似たような祖先から進化したはずなのに、島ごとにクチバシの形が大きく異なっていたのです。硬い種子を食べる島では太く強いクチバシが、花の蜜を吸う島では細く長いクチバシが発達していました。
これは、環境に合わせて徐々に形質が変わり、その結果として「適応したものが生き残った」証拠でした。
この考え方は、生物学だけにとどまりません。
人間社会においても、変化を恐れ、過去のやり方に固執してしまう者は、時代の流れから取り残されてしまいます。一方で、自らの価値観や行動を柔軟に見直し、新しい環境に合わせて学び、変化できる者は、どんな困難な状況でも前に進む力を持ちます。
私が言いたかったのは、「変化を受け入れ、適応する力こそが、本当の生存力である」ということです。
強さとは筋力ではなく柔軟性であり、知性とは知識の量より新しい状況を理解する姿勢なのです。
どうか、あなたがどんな環境の変化に直面しても、恐れずに自らを見つめ直し、新しい条件に合わせて一歩を踏み出してみてください。
進化とは、ゆっくりであっても確かな前進の積み重ねなのです。
(当サイトの情報は医療行為に代わるものではありません。詳細は免責事項と注意事項をご確認ください。)






